ヘッド、ハート、スロートという上位3つのセンターの活性について前回読みました。その続き、「規定5」の最後の部分を今日は読み進めて行きます。
センターの目覚めと相互調整について。
さまざまな調整が必要になる時間が長く、長く、つづく。そして成長の階段を登っていく。熱誠家の疑問に答えるべく、列挙するという前置きでジュワクカルが挙げているリストが以下。
1 性格構築
2 正しい動機
3 奉仕
4 瞑想
5 センターの科学についての専門的な研究
6 呼吸法
7 意志のテクニックの習得
8 時間を使う能力の開発
9 クンダリーニの火の上昇
ここからの部分、ジュワルカルは丁寧に説明しているのですが、意訳しますと、修養者として「フォースの世界」に入る私たちは、もともと過去生から引き継いだ要素のバランスしていない部分に、まずは向き合う。自分自身が持っているエネルギー、情報の、何が問題であるかを知るところから始まる。そして魂が持っている諸体の情報を整理、再構築し始める。
その中で、魂を「鞘」(ライトボディの体のこと)に従属させる力もあり、単独の「鞘」の場合もあれば、パーソナリティに統合されている場合もある… と書かれています。これは「悪徳」のエネルギーであるという。物質的な人間、パーソナリティに魂を従わせる力を、特定の体が性質として持っている場合もあれば、パーソナリティの中の性質として入っている場合もある。多くの現代人は基本的にはそこ、からスタートすると思うのですが、秘教、ホワイトマジックの観点から言えばそれは「悪徳」の性質ということです。
思ったのは、魂レベルから黒いという人も居る訳ですが、諸体のどこかにそのプリントがされていたり、家系や過去生からパーソナリティに入り込んでいたり。一般の人はそこまでではないものの、やはり現代の物質主義の時代などは、その意味での「悪徳」が幅を利かせているのかもしれませんね。
仏教、インド哲学でも、現代は末法末、カリユガ、悪徳が蔓延る時代。それは何も極悪人が溢れるというよりも、普通の人々の中に悪が浸透しているという。その悪とは、特別なことというよりは、物質的な世界に押し留める、魂の言うことをパーソナリティが聞かずに、むしろ魂を従属させているという状況のこと。
その逆、美徳とは、魂のフォースが諸体に流れ込み、情報を変えていくことであるという(情報という言い方は私の表現です)。例として挙がっているのは、怒りっぽい人が穏やかになる、というようなとても普通のことですが、実際に高位我であるソウル(魂)の言うことを、低位我であるパーソナリティが聞くという状況、流れになると、そのようにパーソナリティの「でこぼこ」が、善の光によって修正修繕されていくということに。
「自分の生活を支配していると感じるフォースを一覧表に」して、でこぼこ具合と修正点を自分で理解するのもよし、と書かれています。ジュワルカル大師にしては実際的で面白いなと思いました。自分でそれを理解すると、「真の知識の光に照らされて、自らの運命の道を前進することができる」とのこと。
スピリチュアルに出会った時には最初に、自分の人格部分の傷の癒やしと同時に、それゆえに備えていた良くない性質、たとえば「傷ついて来たために防衛が強くなり人間不信になった」とか、「親が支配的だったため受動的になり自らの意思を持てない」など、人それぞれの中にある、でこぼこした部分を、癒しと同時に直していく必要がある。そこに使われるのは、ソウルが持っている純粋な光であり、そのバックにある大いなる愛の源のフォースなのだろうと思います。それが、1の「性格構築」。
2の「正しい動機」について。
知恵の大師とは「探究者たちからなる一世代に一輪咲くか咲かないかの希な花」である。探究者は、魂を呼び込むという道において、絶えず「正しい動機」を変化、発達させながら進む、という。動機そのものが変化していくというのは面白いと思いますが、確かにその通りですね。最初は、師や仲間と出会い、その基準に答えようと努力をする。次に、マスターどなたかと繋がると、その自身の(高次元の)マスターへの献身に動機が変わる。
その中でごく自然と、人類全体への愛が育って行き、更には大計画、宇宙そのものの背後の目的への愛と献身に変遷していく。
引用P248
「自分自身が霊的な力が働くための経路以外の何者でもないことを知るようになり、自分自身が唯一なる生命に統合されている部分であることを理解する。そのとき彼は、人類でさえ相対的で部分的なものと見なすようになり、偉大なる意志の中に溶け込むようになる。」
…すごいですね。分かりやすいです。スピリチュアルな学びの動機は、確かにそんなふうに変遷していくだろうと思います。向かう先はひとつ。それは人類すべて同じなのだけど、目覚めた後にもやはり我々が人間という生き物である限り、自分を動かすためには動機が必要で、その動機が、
- 師匠や仲間の決めた基準に応える努力
- マスター的高次グループから降りてくる力への献身(自然に生まれる人類愛)
- 宇宙の計画、目的そのものの一部である魂の道具として働く
- 宇宙の偉大なる意志の中に溶ける
と、変化していく。(人類愛でさえ、薄まっていく)もちろん人類や世界への愛は失われず、ただ、視点が大宇宙へと広がり、その愛の道具となる、という。
3の奉仕も、これと連動して拡大発展していく、という感じです。
9番までありますが、最後の3つはまだ詳しく述べる時ではない、とジュワルカルは語ります。6番までの途中ですが、今日はここまでとして。。
今はもうその時代が来ているでしょうか。最近(今年からYoutubeを見始めて)本当に多くの先生方が、こういったレベル、次元で話をされていることに驚くばかりです。皆さん、もう30年、40年、50年と、霊性探究の道を歩んでこられて、「やっと」という空気を読み、話をしているというようなことも、語っておられます。いやはや、本当に進化のサイクルがグインと、昇る時なのですね。
魂で生きる… なんて、前は言えない雰囲気であったけれど。少なくとも一定多数の人々が、そのメッセージを受け止める時代が来ているようです。
【お願い】
皆さんに読んで頂いているとは思うのですが、宜しければ、読んでいただいたらば何か短くても、一言でも、コメントを頂けるとありがたいです。小説のほうも同じく。どうぞ宜しくお願いします。
Love &Grace
Amari

こんにちは、いつもありがとうございます^^
普通に物質的価値観に浸って生き、パーソナリティが魂を従属させているような状態が「悪徳」とされていることについて、(”悪”という表現にちょっとだけドキッとしつつ 笑)とてもわかりやすく、頷けることだと感じました。
こんにちは ありがとうございます。
そうそう、そうなんです。インド哲学や仏教で予言されていた「カリユガ」や「末法」に私たちは生きているので、その「悪」に浸ってしまって、誰もそれを「悪」とは気づいていないという。そこがポイントなのでしょうね。そこから抜けていく今の時代の流れも、当然と言えば当然なのだと感じます。
ブッククラブを通してアリスベイリーに触れる機会を頂けてありがたいなと思っています。ここぞというタイミングで拝読しては意識を正されている感覚です。
「悪徳」はカルマのこととも言えそうですね。悪徳が幅を利かせている…うんうんと頷きながら拝読しました。
コメントありがとうございます
ヒルデガルトの「美徳と悪徳」の本も最近、持ち帰っていました。なかなか興味深いです。