規定7の章の後半に入ります。見出しは「二つの道」。
アストラル界は戦場である、という話が前回までの前半部分に書かれていました。後半の始まりでは、「三界と三界で機能する三体の顕著な特性を心に刻み込んでおくことは役に立つであろう」という前置きで、まずは、物質界について。

p271
物質界は、肉体をまとって、物質を通して活発な経験を行う階層である。それは外的顕現の階層であり、外的形態とその活動は内的人間の状態と進化段階によって決まる。

外的は物質界の人格部分。「内的」は恐らく魂(ソウル)のこと、ですね。

「アストラル界は、人間が次の3つの意識段階を経験する階層である」a/b/cと、3つの項目で書かれている「意識段階」について、意訳して以下に。
形態の、つまり物質界の「感覚」「反応する能力」を獲得する 動物界と分かち合う
感受性。アハンカーラ(インド哲学)=(自我という意味)人間界で分かち合う
霊的な世界に対する認識力や感応力、高位の意識の感情様相。魂に起因。弟子たちで分かち合う

つまりアストラル界を通じて人類の魂は、動物的感覚の世界、人間的な感受性や感情の世界、さらにそこから一歩成長して高次とともにあろうとする人間へと。戦場である、というアストラル界を通じた長きに渡る(本当に長い!)経験の中で、動物としての感覚を経験し、そこへの反応を身につけ磨きを掛けて、人間の世界で感情や善悪や人と共に生きることを学び、そして、更には人の世界を超えた神なる次元とともに働く「弟子」の仲間入りをしていくところまで。「戦場」体験はつづくのだという。

次に、メンタル界についても同じくa/b/cと挙げられている部分、同じく意訳します。メンタル界の目的(「顕著な達成」)は、「知性のただしい活用」とのこと。
マインドが受信機として機能(五感と脳を通して外界からの刺激を受け思考で反応)
マインドが独自の活動へ。アストラル界とメンタル界双方に影響を受け想念形態を系統立て、他の人々の想念形態をも感知。
魂が集中と瞑想を通してメンタル体と常に作用できる段階。…かなり意訳ですが私の想像で、魂や高次元、神なる領域に対して揺るがない意志や意図をもち、かつそれを維持できている段階ではないかと。

戦いはアストラル界で行われる。肉体がある程度、高位の生き方に沿ったものになり、メンタリティの装備が出来上がったのちに「戦いは最も激しい局面に達する」「その強烈さは凄まじいものになる」(p273)

個人的には今世まさにこういった事を経験していると自分で思っていて、ここを読んで唸っていました。

p273 引用
次のような事実が明らかになる。つまり、世界の弟子たちや高度に進化した人々のアストラル体は強力であるため、あまり進化していない人々や解放された神の子らよりも強烈な感情的な緊張のもとで働いているという事実が。

この状態からの勝利は、「神に捧げられたマインド」を道具とし、魂が支配する状態となること。と続きます。覚者である人々の姿はまさにその通りで、地上で生きていながらも魂が人であることと完全に融合したゆとりのある方々って、確かにいらっしゃいます。下から積み上げるのではなく、上から勝利が降りて来るのだと、ジュワルクールは語ります。下から、つまり人間・人格が何かを乗り越える、ものにする、というのではなく(もちろんそのような努力や達成は同時に必要ですが)、あくまでも、魂の光と力が、その人に降りてこれるだけの器を、人格が用意できた時に、日本文化で言う「神人合一」のような状態が、起こりうるのでしょう。

メンタル階層の特徴は、二極性を体験する、し尽くすこと、とも言えるようです。二極の間を振り子のように揺れ動きながらある意味「苦闘」を続ける。神聖なものと利己との間の苦悶、苦闘。ふたつの道があるという事にまず気づく必要があり、そこで選ぶ必要があり、選びきれずに揺れ動く。きっとこの段階で幾度も幾度も、転生をしそうですね。そして現代人の多くは、今まだこのメンタル階層における「目覚め、苦闘、選択」の手前に居るのかもしれません。多数派は物質主義の社会の中で、上の3つの段階のひょっとすると(a)段階に位置している人々が多いのかも?

熱誠家や弟子たちは、目覚めているが故の苦悶、苦闘を余儀なくされる。その状態の中で、平穏に穏やかに暮らしている「普通の人々」を羨んだりして、そちらの中に戻ってみたり。振り子を行ったり来たり。

二重のフォース(霊性/物質主義=闇)をまずは感じる、そして識別するようになると、魂の力が発達する。バランスや、選択を統御できるようになり、冷静さを実践し、アストラル界での「戦い」を真剣に戦うことで、意識が一段一段、ステップアップしていくという。もちろんここでいう「戦い」とは、自分自身と戦うこと。

見習いの弟子が経験を積んだ時、「イリュージョンの谷」で苦闘するようになるという。(p276)以下、重要なので引用します。

自分自身の性質だけでなく、その谷のフォースも扱うようになり、その二重の性質を認識する。そのとき、弟子は自ら進んで戦い、一斉に彼に立ち向かってくるフォースに勇気をもって(そしてしばしば明瞭なヴィジョンをもって)直面する。それらには、彼自身の性質にあるものと、彼が結果として当然反応するアストラル界の様相だけではなく、彼が属している弟子のグループに敵対するイリュージョンのフォースも含まれる。困難に満ちた激烈な時代にあっては、すべての弟子がこのことに注目して覚えておかなくてはならない。そのような弟子たちは、時々ではあるが、自らの魂のフォースと意識的に接触しているため、彼らが敗北したりすることはない。彼らは試された戦士であり、傷つき疲れている。しかし、輝かしい勝利が前方にあることを知っている。というのは、魂は全能だからである。(中略)最終的には勝利を確実なものにする力を着実にますます受け取るようになる。

道を歩むすべての人々に約束されているのは「勝利」。それは自分自身を信じ、高次を信頼し、愛で歩みながら苦闘・苦悶し、選択しながら行きつ戻りつした先の、魂とパーソナリティの融合という「勝利」。それにより…「この惑星の白魔術師の仲間入り」が出来るそうです… やはりそこですね、そこに入る、というか「戻る」。

イリュージョンの谷、グループに敵対するイリュージョンのフォースに立ち向かう、など。まさに身に染みる言葉です。アルガンザにおけるジェネシスショックとその後の展開は、まさにそこを体験しているということが改めてよく分かりました。必ず勝利する、なぜならば自分自身の魂の内側で行なっている戦いであるから。…それも、ここ数年、たびたび考えて来たことです。すべては自分が見ているもの。アストラル界もメンタル界も、ドラマを映し出す劇場であったり、それを通じて「試された戦士」の体験ゾーンである。

自らの魂のフォースと意識的に接触しているるため、敗北することはない。
魂は全能である。

今日はこのくらいで。次回「規定8」の章へと進みます。

Love & Grace
Amari

「『ホワイトマジック』A.Bailey 19 イリュージョンの谷をゆく「試された戦士」・約束された勝利」への2件のフィードバック

  1. 最後に引用されていた「イリュージョンの谷」の部分。今読み返すと以前読んだ時よりもさらにリアリティを感じますし、Amariさんの解説がありがたいです。いつもありがとうございます^^

    1. ありがとうございます。
      人間としての体験というのは本当に奥が深いですよね。そして(以前アップした「ファルス」本の言うように)幻想のヴェールを掛けられた時代が終わろうとしているのがまさに今、という感じがとてもしています。

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