「規定3」の最後の回に。残りの数ページから、大事そうな箇所をご紹介しておきます。

これまで何度か仏教のアカデミズム路線からの(哲学としての)学びを試みた事がありました。その時に印象深かった幾つかの事柄の中で、どの宗派であっても、インドや中国、日本と、どの国でも、古代から常に思想というものは、「個人の為に行う」のか、「より大きな目的のために行うのか」という議論が為されてきたという点。

昔習った用語だと前者は小乗仏教、後者は大乗仏教。後者は今の言葉で言えばワンネス、世界全体での「成仏」を目的とする、ということ。その一方、自分自身の心の状態をより良くする為に学び実践するという考え方もあり。今ではこれは(「小乗」ではなく)上座部(じょうざぶ)仏教と呼ばれているそうです。

哲学度合いが濃い禅宗であっても、中国で誕生した時点で、そのような論争があったよう。ヒーラーの仕事をしてきて、自分自身は「癒し」「変容」を体験したらば自然と、世界平和や、ホリスティックな社会、エシカルなあり方というものに、誰しもが進むものだと思っていました… が、実際はそうではなく。自らを癒し、生きづらさが改善されたというところで、その世界に留まる人々のほうが圧倒的に多い。

日本が平和で豊かであったから、かもしれません。世の中をどうにかしなくては、という点に思い至る人が少ない。思ったとしても行動する人は更に少ない。ある意味で日本のスピリチュアルは「小乗」なのかなとずっと感じて来ました。が、アリス・ベイリーに象徴される神智学はまさに「大乗」で、出発点が(創始者のブラバツキー夫人の時点で)世界への高次の眼差し、導きを、前提としている。

アリス・ベイリー始め、神智学系の著書ではそのより大きな単位を「グループ」と呼んでいますが、他の著書も踏まえると、それはリアルなグループだけでなく、無意識レベルでつながりあって、大きな仕事を共有している人々も、グループと表現しているようです。

更に言えばより大きなグループ、(地球ばかりでなく)宇宙の全体性に意識の焦点を合わせていくというのが、魂が辿っていく、回帰していく道であり、それはもう地球の魂というよりは、モナド、スピリットの段階の話になる。けれども相似形で、原理やメカニズムの大枠は同じであろうと思います。「上にあるものは下にも。」

149ページから説明のある「三段階の原理」については、
一つ目は人間社会の倫理、モラルのようなことで、二つ目が、ハイヤーセルフ(魂、ソウル)を支配する原理。現代社会は、この「愛と知恵」の原理が一般大衆に理解され始めたという時代であり、同時にそれによって摩擦や問題、争いが起きているという。

これらの原理の理解に状況を前もって適合させようとせずに、これらが正しいと性急に認めそれらを現実のものにしようとすることは、パーソナリティを支配する原理によって行動している人々と、高位我(ハイヤーセルフ、ソウル)を支配する原理によって行動している人々との間にしばしば衝突と闘争を引き起こす。人間のうちもっと多くの人が魂意識に支配されるようになるまでは、このような闘争が起こることは必然であり、避けられないことである。情緒界が直観界に支配されたとき、普遍的な理解がもたらされるであろう。

この一文は大いに納得するところでもあるのですが、冒頭、「これら(二番目のソウルの・愛と知恵)の原理の理解に状況を前もって適合させようとせずに」について、「状況を前もって適合させる」とは、一体どうしたらいいのだろうかと考えてしまいました。要は急ぎすぎるな、ということだとは思いますが。正しいことと分かっていても、運用の仕方によって、争いや摩擦を招くということですよね。

最後、「情緒界が直観界に支配されたとき」というのは、アストラル界に代わってブッディ界が、我々を構成する有力な部分になったとき、ということだと思います。感情ではなく、ブッディなので知恵や慈愛ですね。第二チャクラではなく、ハートやスロート。人間社会がそれほど進化するのはいつ頃でしょうか。ただ、一部の人々が小さな社会を作ってこれを実現することは可能ではないかと感じます。

最近、2025年からの新しいサイクルについて、スピリチュアル界隈(youtuber など)は、「小さなコミュニティ」が出来ていく時代、としきりに言っていますね。私もそのようなイメージを受け取っています。

新しい時代のサイクル。古い感性とそれにより築き上げられた社会の崩壊。けれども全員の魂が、圧倒的多数が、新しいエネルギーを素直に受け取る訳ではないから、よく言われているように「二極化」する。そうなると必然的に、心や意識を同じくする、近くする人々は自分たちの「新しい時代」を守るためにはまとまっていく必要があると思います。

そういったコミュニティが点々と出来ていき、古代社会のように、それが点と線で結ばれてネットワークしていくと、力が強くなって、やがては古い感性に固執していた人々も淘汰されて?行くことになるのでしょう。ちょうどそれは、世代交替のような形で起きていくだろうと思いますし、男性主導から、男女平等のあり方に移行する流れでもあるのだろうと。

p151
組織内に起こる争いの多くは、善良な人々の中にパーソナリティに従っている人々がいるという事実に原因がある。彼らが身を捧げている原理は、まさに一つの原理ではあるがパーソナリティ生活を支配する原理である。また、高位のものを瞥見し、一人の個人ではなくグループの利権を求めることで、高位の原理に巡り合い、そうすることでエゴのフォースを引き入れる人々もいる。彼らは他の人々のために働き、自らのグループを助けることを目指している。エゴとパーソナリティが衝突するとき、高位のものの勝利は確実である。

低位の原理は高位の原理に席を譲らなければならない。一方の人々は自分にとって最高に価値があると思われるもの、つまり、パーソナリティ生命の願望をかなえることに集中しており、その時は大勢の人の利益が自分の根本的な意図であると一瞬は考えているかもしれないが、それに対する興味を助けることにしか興味はない。煎じつめて、適切な言い方をすれば、動機が利己的か非利己的かという問題である。そして、あなた方も知っているように、時が経ち、見習いの道という目標に近づくにつれて、動機は変わっていく。 

日本のスピリチュアルや、日本人のゆるやかな考え方においては、「いろいろあって良い」というムードが常にありますが、神智学の世界ではもはや常識、当然の大前提として、人は魂に向かっていく、魂は根源へと向かっていく。そのような宇宙の摂理の中、人によって目覚めや気づきの速さは違うけれど、必然としての大いなる流れがあるということを、いつも伝えています。

それは、インド哲学やチベット密教などから、神智学の先人たちがエッセンスを吸収し、西洋の神秘主義とも称号し、自分たちの霊感直感をもとに、精製していった結果たどり着いた、宇宙的な教えなのだろうと私も思っています。

まずは、現代の日本社会は、そこ、に気づいていく必要があるでしょう。そこというのは、「人が生きる道は決まっている」という、宇宙の摂理を察するというか、宗教的な教えとして受け入れるのではなく、もっと本能的、動物的に感じるというか。今、縄文や神社がブームになっているのは、その意味では良い傾向で、日本なりの気づきかたをしているのだろうとは思います。が、まだまだ「利己」的なスピリチュアルですよね。。

過去生でハートの道、神秘家としての道を歩むことをある程度繰り返して来て、マスターの傘下に入るような「弟子」の道に巡り合う人々は、今回の生でメンタル的な開花、目覚めを体験しているという説明もありました。そのような人々にとっては、ハートの感性だけでなく、スピリチュアルな原理を学びたいという欲求が自然と芽生えるものなのでしょう。

「ある古代の聖典」の言葉で、この規定3の章は終えられています。

おお、巡礼者よ、しっかりと耐え忍んで前進せよ。燭台はなく、油を入れた陶器のランプもない。栄光のきらめきの中で道が終わるまで、輝きは増し続ける。そして、夜通しさまよう者は太陽の子となり、あの輝かしい日輪の門へと入る。

以上で、ようやく規定3まで。「ホワイトマジック」は大変だなという時に元気と励ましを貰えます。他のアリス本も同時進行で紹介するかもしれませんが、しばらく紹介を続けて行こうと思っています。

Love and Grace
Amari

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