少し久しぶりになりましたが以前のつづき、「規定3」の終盤あたりを見ていきます。
人々の行動、集団、グループ活動、衝突や争い、などについて。
p151
単位の集まりにおいて統合と神聖な表現へと向かう傾向のあるすべてのものが、理想に近づき、高位の原理に近づきつつある。これらのアイディアについて考え抜くことは役立つであろう。私が述べたことの一つの実例が次のような事実にある。つまり、組織内に起こる争いの多くは、善良な人々の中にパーソナリティに従っている人々がいるという事実に原因がある。アリス・ベイリーが伝えるジュワルクールの言葉はしばしば、デジャブーを感じます。まだその本を読んでいない時分、これまでのヒーラーやティーチャーとしての活動の中でよく感じていた、人々に伝えようとしていたことだなあ、と。
この一説もそうです。以前あった学びのグループ(アルガンザのヒーラーズカレッジ卒業生が対象)で、よく同じようなことを伝えていました。その時だけでなく、ヒーリングサロンの歴史の中で体験してきた色々なグループでしばしば、思うことであったので。
シャンバラやロゴス、を、思想的に受け入れているかどうかは別として、エネルギーワークやヒーリングを行う人々にとっては、やはりその出どころとしての宇宙の善なる光、高次の愛というソースは信じている訳ですが、「そこ」に向かっていくための道のりの一端、そこに向かう活動である、という意識を共有している。同じ「前」なり「上」のほうを、向いているはず。少なくとも理想として、自覚、理解しておく必要があります。
その上で、各自、活動を通じて浮上してくる感情や、摩擦しかねない自分の要素については、自ら向き合い消化していくことを自主的に水面下で行っている、という状況が実現できれば、多少、難航したとしてもやっていくことが出来るでしょう。
その「こちらを向いているでしょ?」という認識が、共有できない場合は、グループ活動は難しい。自分という個人(パーソナリティ)を基準にして、感じたり考えたりしているだけでは、摩擦や争いが表面化する。なぜならば、神聖な領域に関わるグループ活動においては、我々自身も神聖な自己、ハイヤーセルフ、ソウルとして機能する、少なくともそのように努める必要があるから。
携わる人の全員が、「低位我(上記でいう「善良な人々のパーソナリティ)」ではなく、自身のソウルと統合された人格の状態で集まるというのは、ハードルが高いと言えるでしょう。けれども、諦める必要もなく、皆が発展途上であることを赦しあえれば(自分自身も含めて)、厳しくならずに穏やかな状態で、大人として集うグループというのも、実現できると思っています。
p152
エゴとパーソナリティが衝突するとき、高位のものの勝利は確実である
そうなんですよね。以前ご紹介した知花先生の言葉にもありました。
「神は絶対である」
神からの指示、召命を聞かずに居ると、大きな試練の中に投じられ目を覚まさせられる、と。
ここで言う、語りかけて指示を出してくる神は、ハイヤーセルフと捉えていいのかなと思うのですが、他の方々もよく言っていること。それをユダヤ教のように絶対神と捉えれば「厳しい一神教の神」ということになりますが、ハイヤーセルフなのだと考えると、確かにそういう厳しさ、私も感じて来ています。皆さんもそうでしょう。
最近も思い(受信し)ました。「神は厳しい」
甘やかしたりしないし、生まれてくる理由をよく分かっている。生まれさせたのは、ソウル(ハイヤーセルフ)であるから。
人として幸せを味わえるか、ではなく、人としてどこまで完成に近づけるか。そのために「神」、ソウルは、人生を導く。だから低位我、パーソナリティにとっては「厳しい」ということになる。(この辺りは「メッセージ」にも載せます)
上の引用部分の段落の結び(p152)
煎じつめて、適切な言い方をすれば、動機が利己的か非利己的かという問題である。あなた方も知っているように、時が経ち、見習いの道という目標に近づくにつれて、動機は変わっていく。
順番として、人はハートの道、神秘家としての人生を経験したのちに、恐らく転生してオカルティスト、つまり秘教を知的に探究する道を辿るのだそうです。そして双方を統合することを私たちは目標としている。
「真の知識とは知的な愛である。それは知性と献身の混ざり合ったものだからである。」
そうですね、スピリチュアル寄りの学者の方などを見ていると、高僧のような空気感を持っている方っています。神秘家としての献身の人生を経ているからこそ、今世では知的なアプローチを。かつ、神秘の世界の知恵が既に入っている、ということなのでしょう。
その逆を考えると、女性的なハートへのフォーカスや、感覚的なアプローチでの献身を通じて、こういった(神秘の)世界にいる方に、秘教家的な方法論を強要することができない、という事も言えます。今世において、神秘家から秘教家へのシフトを経験する人もいると思いますが、そういう人は自然と自らそのような道を選び進んでいく。そうでない人に、幾ら、知的な方法論を伝えようとしても、逆効果になるでしょう。
さらに、大事な事が書かれていると感じる部分、長いですが引用(p154)
人生の目的の傾向を認識し、特定の生涯の目標がヘッドの方法であるかハートの方法であるかを知ることは極めて価値がある。しかしながら、イリュージョンというグラマーによって無気力の道へと誘惑されないよう、確かな霊的な識別がここで必要になる。この言葉を注意深く熟考しなさい。そして、劣等感や、兄弟たちがどのように答えるかを考えることで生じる嫉妬深い傾向や、活動を消極的なものにする落ち着き払った自己満足に基づいたものにならないように気をつけなさい。一般に、弟子道を目指す平均的な熱誠家は、過去においてハートの道に専心してきており、この転生においてメンタル的な開花が最も重要なものになっていると考えて差し支えないであろう。
… ここを読んで今、私が思うのは、スピリチュアルな分野はこれまで女性的で、それは、日本のようなジェンダー不平等な社会において、大事な「女性が活躍する」場であったとは思うのですが、精神の時代、水瓶座時代がやってきて、今は男性によるスピリチュアルも広まりつつあり、まさに、神秘家的な態度から、秘教家的なフィールドへと、全体がシフトしながら、一般の人々へも、ジェンダーに関わらずスピリチュアル、メタフィジカルが定着していく時代の、入り口にあるのだろうと思います。
ただ男性たちは知識を飛び越しテクノロジーに傾倒することから、オトコ社会特有の失敗に陥りかねないので、ハートの力、神秘家の経験値を持つ女性たちの感性や選択肢が反映されていけば、水瓶座時代に高次が設定しているものに、人類が適合できる未来もあるのでしょう。日本においては縄文ブームが来ていますが、それにより「the Genesis 」の最後に書いたように、アトランティスとレムリアの融合、統合が、なされていくことを、願いたいと思います。
今日はこのくらいで。次回「規定4」に進みたいと思います。
Love & Gratitude
Amari
