前回まで「序文」に留まっていたので、少し読み進めていました。が、そこいら中に重要なセンテンス、記録しておきたい部分はたくさんあり、それらを全て拾っているとずっとこの本だけ、という感じになりそうなので、今日は少し先に飛んで、特に記録しておきたい部分を取り上げます。
規定1
「太陽天使は心を落ち着け、そのフォースを散逸させることなく、深き瞑想においてその繁栄に伝える。」
規定1についての章。
1)いくつかの基本的な前提
2)弟子の道
の二つの項目があります。
1から気になった箇所
弟子とはどのような人を言うか。その手前の「熱誠家」について。p82 l1 アルジュナ(バガヴァッドギーター)を例に出して、
相反する対をなすものの間で均衡をとろうとして失望するのである。そのとき彼は、次に示す有名なインドの祈りを頭で理解しながらハートで叫び、人類に奉仕という列寝るなる生活を送るべきである。
黄金色の光の円盤で隠されている
真の霊太陽の顔が私たちに明らかになりますように。
私たちが汝の聖なる足下へと旅するとき、
真理を知り、すべての義務を全うできますように。
「弟子の道」より
白魔術師とは常に次のような人々である。自らのエゴ(魂=ソウルのこと)である「天使」と意識的に整列することによって自らの計画と目的を感受し、したがって、より高位の印象づけを受けることができるようになっている人である。白魔術は上から下へと働きかけるものであり、太陽の波動によって起こる結果であって、何らかの月ピトリから発せられる刺激によるものではない。太陽ピトリからの印象づけるエネルギーの流下は、内面的に冷静沈着になり、自らのフォースを集中して自らの影である人間へと送り出す前にそれを内に引っ込め、目的と計画についてしっかりと瞑想した結果として起こるものである。このことを私たちは忘れてはならない。エゴ(魂=ソウル)が(ロゴスと同じように)物質界に転生している全期間を通して深い瞑想状態にあるということを思い起こすことは有益かもしれない。(つづく)
とくに太字にした部分はとても分かりにくい日本語ですが、なぜかとても気になったので書き出してみました。
まずは「ピトリ」ですが、サンクスリットで「祖霊」という意味らしく、「ピトリドーシャ」で「先祖由来のカルマ」のような言葉があるようです。月ピトリ、太陽ピトリなので私たちに関係のあるより大きな(個人レベルではない)祖霊、まさしくジェネシスでいう原型種族のような感じでしょうか。
そして太陽天使と同じく、太陽ピトリは私たちのソウル=魂を言っているようにも見えますね。やはり我々のソウルは太陽に所属する天使のような存在というイメージが浮かびます。物質界に転生している間、つまりパーソナリティが人生だと思っているものを経験している間は、「ロゴスと同じように」深い瞑想状態にある。。。
シュタイナーがカルマ論の中で言っているように、天使の記憶と人間界は交替交替なのかもしれず。物質界での転生ばかりが時系列で数珠つながり、という訳ではないのかも。と、この文章からも思いました。
この本のタイトルは「ホワイトマジック」ですから、それを扱う人=白魔術師について説いています。自分の魂である「天使」と意識的に整列、計画と目的を感受している人々。
この段落はまだまだ長く続くのですが、霊的にかなり進歩した人間でないと「白魔術師」にはなりえないとあります。多くの転生経験がないと、「影」「反映」(どちらもパーソナリティ、物質人間のことを言っているよう)は太陽天使に反応できない、とのこと。
反応。レスポンス。
レスポンスするアビリティ=responsibility
日本語だと責任、となってしまいますが、反応する能力という英単語、なかなかそう思うと奥が深いです。ゲリー・ボーネルさんも著書で言っていましたが。「高次が求めるものはそれ」というような一文で。
スピリチュアルに興味を持った時のセンサリー、能力的なことだけではなく、高次やハイヤーセルフ、自分自身の霊的な層との付き合い方のようなものは、本当に個人差があるなと思いますが、転生の経験値は多いに関係するのでしょう。
また、かなりの回数、熱誠家としての経験を繰り返して来ていても、この本を読んでいると特に多くのトラップやトリック、一度は通るだろう失敗する道、などについても言及があり。本当に霊的な達成というのは、そうそうに簡単ではないと改めて思います。書いてあること、だいたい頷ける、経験から分かる事ばかりなので。
そしてまだまだ道はつづく。弟子道に居るかな?と思って来たけれど、改めてこの本を読んでいると、まだまだその見習いでは、、と感じてしまう私でした。弟子というのは相当に覚悟が必要で、利他に徹底する心、行動、マインド、生活、選択のなかで、仕事をするからこその、直観の活用が可能になる段階、と言えるのでしょう。
常に原点に立ち返り、大事なことは何かを確認していないと、弟子道や見習いの道は大いに迷い、戸惑い、混乱したり、逆走したりしてしまうようです。
また同じ章の続きを丁寧に読みたいと思います。
今日はこのくらいで。
Amari
