こんにちは。前回の記事
の続きで、まだこの本における主題には入っていない感じなのですが、癒しやメタフィジカルな学びの道を実践していく人々には大事だな、と思われる部分を紹介しておきたいと思います。今回私自身も、仕事の流れの中でとても役に立つ記述でした。
また、最近ちょうど気づきがあったこと、頭を整理できたことの、答え合わせのようでもありました。前日考えていたことを、分かりやすく知恵深く補強するような内容が、久しぶりにこの本を開いたら書いてあったという具合に。
色々なところで書いて来ているのですが、今のヒーリングの仕事は、連動するショップのスタートから数えるとほぼ20年。運命の流れが怒涛のようにやってきた、という感じで、特にリクエストしなくても物事が運んで、人々が情報や機械をもたらしてくれて、あれよあれよ.. という感じでスタートして、
その怒涛の中でコツを掴んだ自分が、そのコツをフル稼働させながら懸命に仕事をしていた。ゆえに結果も自然と付いてきていた、という良い波に乗っていた時代が長くつづいた後、2018年頃から、新しいフェイズへ。まあ、自分の運命的な波もあるだろうし、年齢や、時代の動きなど、外部からだけでなく自分の内側からも、その変動の時期を呼び込んだのかもしれません。
そして、その地殻変動の前半はなんだなんだ、という感じでしたが、途中から解明分析作業をしてきて、更には改善修復の時期、が続いて。ここ最近は時代が本当に変換期を迎えているので、その様子を感じとりながら、更にこの7年ほどの時間を振り返り、整理していた段階でもあり。
その中で気づいたのは、以前は、まさに自分がやっているスクールで教えていた中心的な部分ですが、「チャクラが整っていれば、現実は整う」… 実際にこれを実践し、何の心配も日々しない、全ての流れを信頼して… という感じだった13~14年くらい。
一方で、2017年にあった変化の幾つかによる複合的な背景ゆえですが、2018年頃からの不調期は、当時は正当というか、致し方ない流れと理由があったからですが、起きてくる問題に対してそれまでとは違う思考や対応をするような変化が、自分の側にも起きていたのです。そういう時空に入ると、きっと人は無意識に少しずつ変化して行ってしまうものなのでしょう。
それを、最近はとても客観的に、整理できて、実感していたところです。
長い説明になってしまいましたが、この本を読んでいて、「これだ!」と思う箇所がありましたので、それを紹介することで、更に説明していきます。
前回記事で、チベットには、
- シャーマニズム
- タントラ
- ゾクチェン
という3つの思想宗教が、重なり合いながら存在しているという事を書きました。
- シャーマニズムは肉体や物質レベル
- タントラは、心(のありかた、意識の持ち方のような啓発的な感じか)
- ゾクチェンは、宇宙と魂レベル
というふうに言えそうですが、さらに例え話で「夢の中で毒虫に噛まれた」場合。一般的に、嫌悪すべきもの、毒のあるものがその人のなかに巣食っているか、これから襲うという意味にとれる、のだという。それに対して、3つの手法の修行者はどう対応するかというと、
シャーマニズムの修行者なら毒を注ぎ込んだ霊に呼びかける儀式を執り行い、供養するか、または毒を取り除くために霊を打ち負かす儀式を行う。
タントラの修行者なら、儀式をおこなうところまでは同じだが、プラナと脈管のヨーガの実践を通して、ダイレクトに身体のエネルギーに働きかける。または本尊に祈りを捧げる。タントラの修行者はすべての現象は幻であると認識しており、そのような夢によって左右されることはない。
ゾクチェンの成就者なら、不二の境地に住し、夢の意味に心を奪われることはない。ゾクチェンの行者はもはや体験を解釈したり意味付けたりはしない。
しかしゾクチェンの行者といえども、心の本性のなかに不動のまま留まりつづけていられる者は少なく、ほとんどの場合、因果の連鎖によって織りなされる現実と取り組む必要がある。伝統的に今述べたような状況と関わっていくには、シャーマニズム、またはタントラの修行をする。
p93
ということなのですが、
自分がヒーラーズカレッジで教えて来たこと、力を入れていたことは、ここに照らすとゾクチェンまではいかずとも(目指しつつも)タントラ、にあたるのではないかと思いました。
実際に当時(ヒーリングと出会ってから13~14年)の自分自身はまさに上記のような、物事の受け止め方をしていて、そもそもの最初の状況、癒しを沢山必要としていた自分自身の状態や、現実についても、ヒーリングというツールと出会ったのだからと、すべてその宇宙の創造の仕組みにもとづき、現れている現実はすべてエネルギーの設計図によるもの、として、自分自身のチャクラやライトボディといった設計図に常にあたって、そこで問題を解決していたように思います。
それゆえの、実践からのスクールだった筈なのだけど… そういえば、気づけば、この7年間はシャーマニズム的な対応をしてきて、また、いつしか自分の思考や受け止め方もシャーマニズム的になっていた。
この本で答え合わせをする前は、また違った言葉での整理でしたが、言い方を変えるとまさに上記の3つの階層のアプローチが、とても分かりやすく。ゾクチェンのような境地は最終的に目指す所だと思いますが、ヒーリングと出会った当時に、素晴らしいと思った理由は、まさに「すべての問題は自分のライトボディにシナリオがある」そして、「それを自分自身で変えていける」という事実。
実際に、それは本当で、流れや良い状態というのも、自然と生まれていく。以前、若い頃に教わった手法では、シャーマニズムのような捉え方と対処をしていて、それがとても嫌であったし、そのようなアプローチでは、根本的な問題解決には至らないことを実感していた。だからこそ、ニューエイジやヒーリングのホリスティックな癒しの世界を、素晴らしい!と思った筈だった。けれども、理由や背景は色々あったとは言え、いつしか、そのような視点と観点の変化が起きていたのだという事を自覚したところでした。
ただ、4つめの段落の太字部分ですね、ゾクチェンの修行者と言えども、最初から現実や心が完全に綺麗に整理されている訳ではないから、家系や前世のカルマもあるだろうし、人生の中で波も出てくるはず。それらに対応するには、シャーマニズムやタントラを併用する、とのこと。
ここには本当に納得しますし、癒しやメタフィジカルなものは何でも、いや、あらゆるジャンルでも、そういった多層からのアプローチやツールを併用するものなのだろうと思います。
問題は、そうしているうちに、最初は下層のツールを取り入れて併用しているつもりだったのが、いつしかその層に囚われてしまっていた、ということ。今思えば、仕事を始めてから経験してきたことの情報を整理するという作業と、それを人々に伝授するという必要性からの、必然的な変化ではありました。
ただ、しっかりと認識していなくてはいけなかったのは、シャーマニズム的な世界に入り込むことで、その世界のフィルターを通して世界が見えて来るということへの事前の準備と自覚。始めから「併用しているのだ」という強い意識設定が無ければ、そちらに次第に軸がずれていく。そのことへの、事前の備えが足りていなかったのだろうと。
気づいて、フィルターを外すということをしてきたのがこの2年くらい。ですが、更に思考が固まってしまっていた部分に変化が起きての今回の気づきでした。この本によって更に、理解が深まりました。
シャーマニズムは、スペースに場の秩序を生み出す。現出するすべてに力を振るい、私たちを邪魔するものをものを打ち負かすことを学び、環境が自分たちの助けとなるよう智慧を働かせる。シャーマンは抽象的な哲学にさほど関心を払わない。シャーマンは、自然界の見えざる力と関係し、これを操り、自分たちをどう守るかということを学ぶ。
タントラ(密教)行者は何も放棄しない。逆に身近なものはすべて手中に納め、それらを空なるスペースを飾る美しいもの、神聖なものへと変容させる。(中略)不自由さのなかに閉じ込められた不安で地位sなあ事故を、安がりと喜びに満ちた広大かつ自由な時とへと変換してしまう。
ゾクチェンの修行者は清らかな空なるスペースに住し、それを味わい楽しむ。すべてをあるがままにおく。私という感覚すらもあるがままにませる。(中略)いっさいは空であり、空性で満ち満ち、それ以下でも以上でもない。とてつもなくまばゆいばかりの輝きだ。
もしひとつの修行法だけで解決できないなら、
その時は併用すると良いという説明がその後、つづきます。
自ら探究し、調べ、実験してみるべし。その道に人生を賭けるのだ、と。実践あるのみ、と。
自分自身の学びや、人生そのものへの活用だけではなく、他の人々へ伝えるにあたっても、多層的な「教え」をアドバイスし提示出来たら良いなと思いました。
ではでは、ついつい自身の気づきの説明が長くなってしまいましたが、今日はこのくらいで。
Love and Grace
Amari
