前記事のつづきです。
人間の中で神意識が拡大するときに通る過程を正しく認識できる唯一の方法は、マインドと脳の関係を学び、また脳がマインドの知的な道具になったときに何が起こるかに注目することである。次に、魂とマインドの関係を学び、そして、人が魂によって方向づけられ、脳を介して物質界の活動を統御するためにマインドを用いるときに何が起こるかを学ぶことである。
序文p43 l14
前回読んでいた部分、人間の「三様相」の関係性、
- 霊(spirit)
- 魂(soul)
- 肉体(物質的存在/物質人間)
と、よく似た関係性が、脳とマインド、そして魂(soul) の間にある、というお話。ここだけでも、かなり長く話題に出来そうな部分です。「人が魂によって方向づけられ、脳を介して物質界の活動を統御するためにマインドを用いる」– 太字にした部分ですが、
物質界、つまりこの現実(として認識されている)世界で生きていく上で、当然、存在としての自分を動かすのは肉体の機能である「脳」ということになります。が、脳それ自体が神秘的な意味での意識、という訳ではなく、あくまでも道具なのですよね。それを繋いで仲介する機能が、マインド、ということになる。
アリス・ベイリーの時代には無かった比喩を使うと、
脳はPCで、マインドはそれを動かすためのOS、この場合の魂は、マインドの更に上位にあり、PCにOSを入れてそれを駆使する立場、人間、ということになります。
キリスト教の三位一体にも似ていますね、「父と子と聖霊」
この構成が、前回読んだ部分、「霊・魂・肉体」の三位一体と、同じ関係にある、と言っています。
高い視点から見れば、人間としてこの物理世界に生きている「私」は、最終的に肉体という分子の塊で顕現している個体ではありますが、非物質の領域に広げた全体からすれば、宇宙に生きる生命存在としては霊、スピリットが有り、それは言い換えれば「モナド」である、というのが先を読み進めると分かります。
宇宙の創造主、あるいは創造的な力が数えきれない分身を生み出して、ひとつひとつが意識を備えた生命であるという、そのモナドを言い換えると「スピリット」である。地球視点におろして来ると、何やらとても謎めいた不思議な存在に聞こえますが、私たちの本来の「個」としての最高位には、モナドがある。ひとりひとりが、ひとつのモナドにつながる。とは言え、モナドも創造主と同じように沢山のコピー、分身を生み出しているので、別の本によると、モナドグループは144のソウルから成っているとのこと。
人としての自分を1とすると、143のモナドの兄弟が居るわけです。そのモナドは、別の言い方をすると英語ではspirit、日本の翻訳家の方々はこれに、「霊」という言葉を当てています。幽霊、などの下位の霊ではなく、キリスト教的な使い方の、肉体の対極にあるものとしての「霊」や、古代やまと語の神的な存在を総称する「ひ」を読み仮名に当てる場合の「霊」などが、モナドとしてのspirit 、霊に近いかなと思います。
それを、地球という生命圏の非物質の(宇宙レベルの)システムに合わせた形でのホリスティックな存在形態が魂、soulであり、それを物質的に表現したものが、肉体。
次元の層は違えど、三層構造の連携が、同じように、「ソウル・マインド・脳」の間で見られるという話。
更に、霊とエネルギーは「同義語である」と、その後の段落に出てきます。
ここで少し本の文章を離れて私なりに咀嚼し、多少脱線していくと…
いわゆる仏教の「悟り」段階に抜けると、これらの仕組みを完全に当然のこととして全霊で理解するのだろうと思います。自分はソウルである、更にはスピリットであり、宇宙の分霊である。… 言葉の上で、ではなく、脳の全体でそれを理解する。そして全身の細胞がその理解に共鳴する。その時、肉体はもう肉体ではなくなり、仏教の経典にあるように、本当にピカ〜っと光って永遠の存在になる、つまり霊の状態になる。シリカの成分を使って、原子と分子が結合して、地球にある元素を体現する形で肉体というものを維持する必要がなくなる。
言い方を変えると、私たちは意識が「自分は肉体人間である」と思っているから、この形態をキープしているわけです。覚醒、悟り、を真に体験すると、「自分は霊(エネルギー)である」ことを、頭ではなく全霊で悟ってしまうので、「いやいや、肉体だよ」と自分を騙すことはもう出来なくなり、神としての霊に戻る。
それとは全く違う次元で、肉体が命を終えた場合の霊。幽霊ですが、それは肉体の外側に存在していた「型紙」のようなもの、エーテル体が、まだ自分が生前のだれそれだと思い込んでいるため、肉体は既にないのにエーテルでまだウロウロしている、そういうことなのでしょう。一方で、意識が宇宙的悟り、覚醒に到達してしまうと、もう本当に光の存在になってしまう。輝けるブッダ像のように…
その手前に、私の感覚ですが「ソウルとしての悟り、覚醒」があるように思います。これは、生きている我々でも時折、神秘体験のようにして起こることがある。最近のスピリチュアルでは「プチ覚醒」と言ったりするもの。覚醒の段階がまだ、地球仕様で作られたソウルの範疇なので、完全に形態をキープ出来なくなって黄金に光り出す、というようなことにはならない。
ただ、こちらも十分にミラクルでドラマティックで、普段キープしている人間としての思考の数十、いや、数百倍くらいの「知性」が、自分の全身全霊で響き渡るような、簡単な言葉で表現すると「感動」、すべてに感動して胸が震えてしまう。そんな感じ。ここでは、脳はソウルの「実力」を表現・情報処理する道具になる、ということでしょう。普段、我々は脳の7%しか使っていないというのだから、恐らく物質世界で人として生きていても、ソウルの覚醒、ならば、脳も肉体も対応できる筈なのです。
以前、数日だけ(それも1日のうち24時間ずっとというわけではないのですが)プチ覚醒状態で過ごした事があります。入ってくる情報(見えるもの、世界として認識されるもの)すべてが「完璧に」理解・受容でき、それらが素晴らし過ぎて、愛で震える。そんな感じでした。
「意識」というものが(ここでいう「マインド」とイコールと思って良いでしょう)それなりの周波数で機能すると、肉体やハートの愛、感情や思考、そして情報処理の媒体である脳… それら全て、ちゃんとその状況に対応してくれる。人間は、本来はそれが出来るように作られているのに。活用出来ていない。今の時代はまだ、ということ。
だいぶ脱線しましたが、脳とマインド(意識)と霊あるいは魂の関係性が、分かりやすくイメージ出来れば何よりです。
今日はこのくらいで
Love and Grace
