序文からの続きです。Arganza の秘教スクールでも重視している「直観」について。

p30

「アイデアの世界」このアイデアはいわゆるIdea という哲学用語(プラトンが使用した概念)で、ここで使われているイメージはメンタル界のようでいて、その中でも高い階層、ロゴスの神意識に近い情報場のような領域、あるいは集合意識場を言うのかなと思っていますが、どうでしょう。アストラル界が人間たちの想念が集まる情報場、ある意味現代のツイッター、メンタル界はwikipedia のような階層だとすると、イデアというのは私たちのソウルシステムの中の高い部分が、繋がり合って共有している集合場であり、そこは人格たちがフィルターを通して想いや考えを集めているアストラルやメンタル界とは違って、「真理」を共有している場。個人的にはそんなふうに捉えています。

直観とはinspirationの直感とは違い、insight のようです。英語そのものを日本語にすると洞察力、という感じ。A.ベイリーではもう少し霊的、多層的な思考活動のように使われていて、ヨーガでも同じですが、地上的な感覚と思考、そしてハイヤーシステムの(自己の高い部分の)回路が発達した暁に、ふとした瞬間瞬間でも、宇宙の「真理」を通して物質界をも森羅万象のあらゆる営みをも、「感じ、その瞬間に理解している」という状態になれることを言うのではないかと思います。

続く部分で(情報ソースである)ジュワル・クールは「直観は、魂の特徴である全知の前兆に過ぎない」と言っていますが、こちら、人間界では瞬間瞬間、直観が「起きる」という感じであるのに対し、すべてがその状態を通して体験されることが、「全知」ということになり、ブッダ(悟りを開いた者)という事なのでしょう。そしてそれが私たちの中にある本来の意識生命、つまり魂(ソウル)の「特徴」であるという。私たちのソウルというのは本来、全知の存在である、あった、という事になります。

p31-32

そうですね、本当に。ここは特に難しさはなくそのままの意味だと思いますが、心に響いたので抜粋。そういう夢想家的な天才が、個人的に好きです。歴史上少なからずいますが・・最近(?)だとニコラ・テスラを思い出します。100年前に電気を無線で世界中に配電する装置を開発しようとしていたし、実験もしていた。それがうまく行っていたら、今頃私たちは無料で電気を、それもワイヤレスで使っていたのでしょう。夢想家というより、彼の場合は、利権を狙った人々により研究途上で試みが終わった、揉み消されたという感じ、か。それでも同じことかも。いつか、より人類の意識が進化したらば電気どころかあらゆるエネルギーはフリーとなり、私たちは何かを得るために労働するという概念や構造からも解放されるはず。

テスラは、100年どころか1000年くらい、先を行く人だったのかもしれませんね。けれどそういう天才はちょくちょくこの世にやって来る。そして人類が「目を開いたとき」発明や理論だけではなく、発想や思考も含めて一般の人類の目線がようやくそこに追いつく日がいつかやって来る。事実や法則として受け入れられる。

この段落の先も面白い表現が続きます。「魂について」。

学術的、科学的にそれはまだ仮説であり認められてはいない(この本が書かれた80年前の事ですが、今でも進展しつつまだ理解までには至っていません)。魂を信じる人々は2種類、とのことで。

  1. 騙されやすく宗教的に教育され疑うことなく信じている人々。
  2. 数は少ないが経験から魂の存在を知っている人々(証拠がないと信じない人々に立証するには至れていない)。

さらにはこれらの2種類の人々が「共通の場」で出会うという。。つまりスピリチュアルな分野ですね。そしてその中間の人々もいて、教育を受けた知的な人々であり、マインドが磨かれているのでその方面からは理解できるが、抽象マインド(右脳や直観ということかな)でしか理解できないものもあるという点、学ばなくてはならない・・という。確かに確かに。その通りですよね。スピリチュアルな界隈にはまさにそのような3種類の(あるいはもっと)人々が混在している。

そしてこの段落の結びとして続くのは、「知的で実務的な神秘家」になるべし、という。「感情情緒性質」=女性的、右脳的・直感的性質を「退けて」、マインド(思考)を通して魂の世界を「知る」「見る」そして理解する人々である。そのような実務的な神秘家を、世界は必要としているということです。

80年を経ても、私が19歳からまずは仏教徒として10年の修行、その後、ニューエイジ的なスピリチュアルを経由して神智学に出会い直し、アカデミズム的な視野も学びながら、全てを統合したいと思っているこの30年を振り返ると、神秘や魂をめぐる状況、実はあまり進んでいない、変わっていないのかなという気がしている。世界大戦後の物質的豊かさを求めるアメリカナイズされた世界観が、スピリチュアリティの開花を逆戻しする流れもあったのでしょう。けれども火種は消えることなく。種からは芽吹いて少しずつ木々は育ち。

これから、変わる時が来たらば一気に変わる。けれどもまだ、攻防、摩擦する時代は続くのではないかと思います。というのは、既存の宗教、いわゆる秘教に対する顕教がしっかりと存在していて、秘教的知識が一般の人々のごく普通の知識、常識になり、世の中を説明する「法則」になっていくことの準備としては、まだまだ、時間や世界の作り替えの必要があるのではないかと思われます。

それでも木を植えつづけ、育てつづける。それが「秘教」なのでしょうし、神秘家、実務的な神秘家たちの役目なのでしょう。

Love and Grace

Amari

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