こんにちは いつもありがとうございます。

毎日暑いですね、ゲリラ豪雨も日常化。激しいエネルギーを感じる2024年の夏。

このところ、まさに晴天の霹靂という感じで小説の執筆がスタートしたり、それに刺激されるようにして創作活動関連のチャンネルが開いたのか、急に過去の、それも「ハピ」や「ガイアナ」を超えて20代に書いていたシリーズからの小編を、ウェブに載せてみたり(note)。そこで気づいたのですが、改めてやはり全部繋がっているのだな、と。同じ人間がやっていることなので、当然だけれど。

https://note.com/sekaiju_books

今回、出した短編はシリーズ「終わらない明日に」という曖昧な(笑)タイトルのもと、20代のころに綴っていた現代小説たち。作品によっては、25歳ころに筆が乗って一気に書き上げた、というものもあったけれど、全体的にはゆっくり、のんびりと、当時の力不足もあって「いつ終わるのだろうか」という状態で。

それが、急な展開をしたのが2002年。世界樹ブックスのページに書いている「実家の庭でぼんやりしていたら、空からマゼンタのイナヅマが落ちて来た」–これが確か、2002年のこと。「水の男」を書いていたのはその前だったか後だったか、忘れてしまったけど。確実に覚えているのは、「水の男」を書いた時にとても筆がスムーズで、やはり迷わず一気に書いていたこと。そして、ピンクの稲妻、の後に三島由紀夫がきっかけで古代世界の女神崇拝や母系社会、「聖娼」を知り、魂に響く一大イベントのようになったこと。

ずっと宿題のように思っていた「水の男」を書き終えていたので、上記のイベントから刺激を受けて(かなり知的な興奮状態の中で)シリーズの最終作『聖娼』を仕上げたのも2002年。マゼンタの光の降臨から、女神崇拝から、すぐにハピではなく、ワンクッションあった。それが、ニューヨークを舞台にした、そのシリーズの最終作で。主人公は大学院で、その手の研究の論文を書き上げるという。シリーズの最初の作品では、横浜の大学3年生だった。2作目の長編でニューヨーク大へ。間に短編を挟み、最終作は大学院で修士論文を仕上げる。それも太古女神崇拝について。

ここで実際に、私の中での(魂から上がってくる)この次元的な恋愛やセクシャリティへの理解できなさを、何とか上方向に超越する(女神崇拝というツールを使う)ことで「丸く収めた」、それが主人公(私と同じ世代の女性)が修士論文をまとめてニューヨーク大のマスターを卒業、同時に妊娠して帰国するという。。笑

パリに出かけるシーンがあり、「水の男」の主人公の男性キャストや、ルーブルのミロのヴィーナスなどが、象徴的に主人公が女性性の問題(魂からの)を克服し、女神になる、といったまさにユング派心理学者の語るような変容の一幕で、シリーズ作品を終えました。

当時、別居中で、娘は2歳。そこから数ヶ月してからだったかな… まずはヒーリングと出会う。フラワーエッセンスや、クリスタル、そしてレイキ。そうしているうちに『ハピ』を書き始めるという流れです。そしてハピを書きながら、どんどん自分が癒されて行き、魂が自由になっていき、海外に居る(なんとフィンドホーンに)友人から急に連絡が来る。彼女は、イギリスのスピリチュアルなコミュニティ、フィンドホーンに滞在した後、そこで出会った人とともに、ロンドンだったか、ヨーロッパの何処かの街に居るというタイミングで連絡をくれていました。

5年以上振りなのに、互いにスピリチュアルな道へ進んでいた。メールのやり取りで盛り上がって、そのうちに娘を保育園に入れる準備をしなくては、という時期になり。彼女から「海外には数ブロックに1件は、カフェを併設した、石やヒーリンググッズや本が売っているようなスピリチュアルなショップがある」と聞いて。

ネットでなら出来るかも!と、彼女に頼んでロザリオや天使グッズを買いつけてこちらに送ってもらうという形で、スタート。正式に離婚をして、ショップを始めて、ハピを書き上げて有料メルマガにする。レイキのスクールが徒歩1分のご近所に出来て!、ウスイ、カルナ、そのほかの伝授を受けて。ハピの配信を終えてガイアナを書き下ろしで配信スタート。そしてサロンを始める。翌月には奈良に物件を見に行き、その翌月には移住。

この、2002年のマゼンタの光からの流れは本当に、怒涛のようで。心地よい高揚感と、失っていたものを取り戻すような、生き生きしたエナジーが別次元から溢れ出してくるようだった。そこまで行かないけれど、今、50歳の省エネヴァージョンですが、同じような、似たような感じがあります。そう思っていたら、無自覚だったけれど、やはり執筆活動がスタートした。「老眼が…」「肩こりが..」とか言っているので、なかなか、同じようなわけには行かないまでも。エネルギーの流れが来た時にそれをキャッチして乗っていく方法、のようなものは既に経験している。それを、感じる最近です。

世の中は、混沌としていますが… あの頃のような、平和ボケではいられない。けれども、やはり物語を紡いでいくというのが、自分のベースにはあると感じます。

ちなみに上記の現代小説シリーズは、数年前にハピ等と一緒に期間限定で手作り製本で販売、その時にシリーズ全体のタイトルを『アフロディーテ』に変更しています。降りてきた一条のマゼンタの光、エロヒム、ブリジッド、マイトレーヤ、とアンドロ系の。まさに「アフロディーテ」だったのだろうと思います。

そう、それで、サロンを対面でやっていた時に「物語、ドラマにはまっていては、その次元レベルから抜け出せず、真の覚醒には至らない」というようなことをお客様が。似た感じのことを、その人なりにスピをしている友人にも言われたりことも。その時以来、ジェネシスで盛り上がっていくサロンでの流れに対して、時折、それらの言葉を反芻することがあり。

けれども今、確信しているのは、(「the Genesis」の冒頭にも書いたように)物語というのは、癒しを運んでくる、促進するもの、であるということ。小説に限らず、神話や伝承、サブカルチャーの映画なども。歴史は、ヒストリー、たしか his story (彼の物語)が語源だとか? ここ最近の、ジェネシスの物語も、集合場の悲壮感をキャッチして居た堪れずに描き始めることになった「アトラスハシス」も。書くこと自体が鎮魂だと思っているのと、やはり私たちが「知る」「知覚する」というだけで、人類の集合フィールドでは浄化や変容、進化が起きていくもの。

「ドラマにはまっていると…」という当時聞いたご指摘は、感情的に自分がそこに共鳴、同調していては確かに癒しは進まない。けれども、感情的に仕事をしていないので、語り部としてはマヌ(文明の主、を意味するシャンバラの仕事をするソウルたち。時代や歴史を管理する)、時にロゴスの視点に同調しているようなつもりで、今後も書いていこうと思っています。

ジェネシスもそういう意味で、やはりまとめる事が出来て良かったのだなあ。と。それにまつわる苦労も多々あったけれど。2002年から、ヒーラーとショップをする人としての道が拓けていくまでの数年間を、今振り返って、全てが必然であり完璧、でこぼこ道でも「完璧』であったと思うように。必要な学びが、ずっと続いているのだなと振り返る最近でした。

ありがとうございます

Love and Grace

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Amari